永遠のヒーロー  ブルース・リー

BRUCE LEE


1973年12月公開の映画「燃えよドラゴン」により日本はブルース・リーブームに突入した。

TVはもちろん、雑誌やレコードはブルース・リー、一色に染まった。

その当時の若者のほとんどが、ブルース・リーに熱中し空手や少林寺拳法を学ぶ者が続出し世界的な空手ブームとなる。

リアルタイムに経験した世代にとってブルース・リーは真のヒーローであり、格闘技を志す者にとっては神のような存在であった。

ここではブルース・リーの好きな方はもちろん、よく知らない方にも興味が持てるように解説をしていきます。

ブルース・リーをよく知らない方は、まず映画をご覧になって下さい。必ず興味が湧いてくるはずです。

ここでは、ブルース・リー本人と作品をを簡単に紹介し、他のページではブルース・リー映画全般で楽しんで行きます。

なお、結構いい加減に説明しておりますので、詳しい資料は他のサイトでお調べください。
1940年11月27日   ブルース・リー(1940〜1973) 本名 李振藩(リー・ジュン・ファン) 米国名 BRUCE LEE  
サンフランシスコのチャイナタウンに生まれる。(父は舞台俳優・李海泉)
1946年 子役で「金門女」に初出演。以後、子役として
1950年 「細路祥」(子役初主演)
1951年 「人之初」
1952年 「弧星血涙」 この頃、葉問(イップマン)に詠春拳を習う
「富貴浮雲」
1957年 「雷雨」
1958年 「人海弧鴻」以上香港映画に出演する。
1959年  アメリカへ単身で渡る。
1962年 ワシントン大学・哲学部入学。シアトルのチャイナタウンにて振藩功夫(JKDの前身)を指導する道場、振藩國術館を開設。
1963年 シアトルのユニバーシティ・ウェイに功夫道場を開設。
1964年 リンダ・エメリーと結婚。
カリフォルニアのロングビーチで行われた第1回国際空手選手権大会の模範演舞がTVプロデューサーウィリアム・ドジャーの目にとまり武術指導からTV出演に。
1966年 「グリーン・ホーネット」カトーとして出演 全26話
1965年〜71年の間に「ヒア・カムズ・ブライト」「バットマン」「ブロンディー」「鬼警部アイアンサイド」「ロングストリート」等にゲストTV出演。
1967年 ダン・イノサントと共にロサンゼルスで截拳道(ジークンドー)を教えはじめる。道場生にスティーブ・マックィーン、ジェームス・コバーンなども入門
1969年 ジェームス・ガーナー主演の「かわいい女」でハリウッド映画初出演。(端役)

1971年香港へ戻る 初主演映画「ドラゴン危機一発」制作・公開、香港史上空前の大ヒットとなる。
1972年 「ドラゴン怒りの鉄拳」制作・公開、興行成績は前作の記録をまたも塗り替える。
ブルース・リー、コンコルドプロダクション設立、「ドラゴンへの道」製作開始。
「ドラゴンへの道」でブルース・リー自ら監督をし制作・公開、中国映画界のすべての記録を破ってしまう。
「死亡遊戯」制作開始、アメリカのワーナーより合作「燃えよドラゴン」の話が持ち上がり「死亡遊戯」は中断、
「燃えよドラゴン」の制作にかかる。
 1973年1月〜3月 香港で「燃えよドラゴン」撮影、5月10日スタジオで音声録音中に倒れる。
病院に担ぎ込まれるが、2時間後に回復、しばらく入院する。
1973年7月20日 「死亡遊戯」の打ち合わせの後、ベティ・ティン・ペイのマンションで頭痛を訴え頭痛薬を飲みベッドに入る、異常にきづき救急車で病院へ運ばれるが、すでにこの世の人でなかった。
1973年8月19日 「燃えよドラゴン」ハリウッドで封切り。
 同年12月22日「燃えよドラゴン」日本公開、ブルース・リーブームが始まる。
1974年4月13日  「ドラゴン危機一発」日本公開される。
同年7月20日「ドラゴン怒りの鉄拳」公開、ブルース・リーブームも最高潮に達する。
1975年1月25日 最後のブルース・リーとして「ドラゴンへの道」公開
ポスト、ブルース・リーを狙ってさまざまな偽物クンフースターがこの時期登場したが、ブルース・リーにはなれず結果的にブームが下火になっていく。
1976年以降 クンフー映画は、下火になったものの雑誌「ロードショウ」などの人気投票では常に首位をキープしていた、その間も「グリーン・ホーネット」「電光石火」などといった再編集物も公開され、映画の再映、リバイバル等も常に何処かの劇場で行われていた。
1978年4月15日 「ブルース・リー 死亡遊戯」公開10数分の撮影シーンを代役で埋め合わせストーリーを完全に変更して作られた。
出来ばえは今一つだったものの、本物のブルース・リーのスチールでしか見られなかったシーンを初めて見てファンは感動した。
この時期に沈静化していたブルース・リーブームが再燃!74年程では無いがかなりの印刷物等が発行された。
俗に言う第2次ブームである。
しかし、これ以降はブームも完全消えていく・・・
1981年6月20日 ブルース・リー「死亡の塔」公開、死亡遊戯と同時進行していたブルース・リー映画が存在した!と言うキャッチコピーで公開。
映画の内容のひどさもあって多少の雑誌で特集されるものの、時代はブルース・リーからジャッキー・チェンへと変わっていく。
1983年10月22日 ブルース・リーの10周忌にあたる年に「怒りの鉄拳/危機一発」がどすーんとリバイバルされるが、大きなブームにはならず。
これが成功すれば第2弾も予定されていたが不発に終わる。  
1987年 東京ファタスティック映画祭に「ブルース・リーの神話」が出展される。
1993年5月7日 ブルース・リーの伝記映画(ジェイソン・スコット・リー主演)「ドラゴン・ブルース・リー物語」が全米で公開され初登場1位を記録する。
同年8月21日 「ドラゴン・ブルース・リー物語」日本公開
1994年3月 グリコカレーLEEのCMに「燃えよドラゴン」使用
以降大ブレークはしないまでも、リーのファンは根強く生き続ける。また、截拳道も注目を集め挌闘家ブルース・リーとしても注目される。
1998年 没後25周年を迎え「新グロモント」のCMに登場するなど各地で様々なイベントが行われる。
また、インターネットを基点にファン同志の意見交換が行われ、ブルース・リーへの熱が再燃した人が多く、新たなファンも生まれる。
1999年 BLファクトリー(現G.O.D)の竹田氏により死亡遊戯の未公開映像ツアーを企画される事によりファンの「死亡遊戯」への思いがいっそう高まる。
2000年  ブルース・リー生誕60周年の年、再度、香港ツアーが開催され「死亡遊戯」の現存する全てのフィルムが公開された。その後アートポートにより「死亡的遊戯」製作を発表。
同年11月25日シアターアプルにて「BRUCE LEEinG.O.D死亡的遊戯」プレミアム上映される。
2003年 「BRUCE LEEinG.O.D死亡的遊戯」の不評であった点を再編集してG.O.D2003がDVDで発売される。


作品紹介(日本公開順)
燃えよドラゴン(Enter the Dragon) 1973.12.22公開(ワーナー配給) 
  監督:ロバート・クローズ 音楽:ラロ・シェフリン
  出演:ブルース・リー /ジョン・サクソン/ジム・ケリー/シー・キエン/アンジェラ・マオイン
ストーリー
少林寺で修行するリー(ブルース・リー)のもとに、諜報部員のブレイスウェイトが現れ香港で行われる武道トーナメントに出場して欲しいと依頼される。
その依頼とは、トーナメントを主催する、ハンの麻薬密造の手掛かりをつかんで欲しいという。
トーナメント出場の決意をしたりーは自分の父より妹の死がハンの手下のオハラによるものだと知り、リーは単身でハンの島へ向かう。
その外のトーナメント参加者にローパー(ジョン・サクソン)ウィリアムス(ジム・ケリー)らがいた。
トーナメントに参加しつつハンの要塞島の調査をするリー。
そして、妹の仇オハラとも対決し、息の根を止める。

そこでついに、ハンの麻薬工場を発見、ヌンチャクを持ち、手下との格闘!
 しかし、最後にハンに捕まってしまうリー、ローパーとボロの決闘が始まる。
そのとき、地下室より開放された人々がハンの手下に次々と向かっていく。
群がる群集の中でリー、ローパー共に大乱闘が始まる。

逃げるハン、追うリー、義手を付けて戦うハンに、苦戦するが、リーだが、素早いキックとパンチでハンを追いつめる。
鏡の部屋に逃げ込むハンであったが、一瞬の隙に蹴りが炸裂!ハンを倒した。

戦いが終わり、ローパーと眼を合わすリー、その上空に遅すぎる登場の諜報部員が依頼したヘリが・・・
疲れきった、リーは帰っていく。
マニアックなみどころ
 ★オープニングシーンのブルース・リーとサモ・ハン・キンポーとの対決はマニアには有名。
   この時に使われている、オープンフィンガーグローブは、ブルース・リー考案。実際、截拳道で使われていた。
 ★ハンの祝宴での相撲はずっと決着ががつかない。
 ★ハンのしゃべる、わかりやすい英語。(英語をまったく話せなかったそうです。)
 ★日本で初めて公開されたブルース・リーの映画、あの肉体、怪鳥音に観客は度肝を抜かれたちまちブルース・リーのファンに
  なっていった。
ドラゴン危機一発(The Big Boss)1974.4.13公開(東宝東和配給)
 監督:ロー・ウェイ  出演:ブルース・リー/マリア・イー/ジェームス・テェイエン/トニー・リュウ他 
ストーリー
ケンカにかけて村一番だったチェン(リー)は、二度とケンカはしないと母からもらったペンダントに誓い、いとこの働くタイの製氷工
場へ就職する。
そこで、仲間が次々と失踪していく。工場の社長にも相談したが、まったくわからない。
不思議に思ったチェンは工場で麻薬を氷につめての密売をしている事を知った。
仲間は惨殺され、最愛のチャオ・メイまで行方不明に・・・
チェン怒りは爆発!密売一味とボスの家に向かい襲い来る手下を叩きのめし最後にボスの息の根を止めた。
連絡で駆けつけた警察に連行されるチェン・・・チャオ・メイは駆け寄る。
マニアックなみどころ
 ★香港復帰第1作まだ若く健康的なブルース・リーの姿が見る事が出来る。
   まだ、この時は怪鳥音を発していない。(現在発売中のビデオの吹き替えはこの作品以降の怪鳥音で吹き替えをしている。)
 ★とにかく、人を殺してしまう安易過ぎるストーリーで描写が、かなり残酷.。
 ★ボスの家に向かう時、ブルース・リーが食べているクラッカーらしき食べ物がやたら美味しそうだ。
ドラゴン怒りの鉄拳(Fist of Fury)1974.7.20公開(東宝東和配給)
監督:ロー・ウェイ 出演:ブルース・リー/ノラ・ミャオ/橋本 力他
ストーリー
精武館の館長が謎の死を遂げた。
その死を不信に思ったチェン(ブルース・リー)は日本人によって毒殺殺された事実を知る。
チェンは日本人の道場、鈴木の所へ単身で殴り込みをかけて全員倒した。
しかし、そのころ精武館の道場は日本人により閉鎖されようとしていた。
そこに帰ってきたチェン「チェンはここだ!」そこでチェンは警察署長に「俺が捕まれば道場に手を出さないと約束できるか!」
「わかった!約束する」その言葉にチェンはゆっくりと外へ向かった。
 しかし、外には日本人憲兵や警察がチェンに銃口を向けていた。
チェンは雄叫びをあげ、その中に突っ込んでいった。
マニアックなみどころ
 ★当時、日本人を馬鹿にしたような、逆袴、大股で歩く着物女性と話題になったシーンは今見ても笑える。
  日本公開では、芸者のお座敷ストリップはカットされた、(現在のビデオでは入っている)
  あまりにも反日的な映画だったために、当時は公開出来ないのでは言われていた。
 ★鈴木役の橋本力氏は大映映画「大魔人」の中に入っていた人だ。
 ★マニアでなくともならみんな知っている事だけど、鈴木の最後の吹っ飛ぶシーンはジャッキー・チェンがスタントをしている、
  他の箇所にもジャッキーのスタントがあり、道場での乱闘シーンにも出演している。
 ★公園で肉を食べるリー、この肉がなんの肉か?議論した事があるが、かえる?犬?今でもよく分らないが、なんかこれも
  美味そうだ!
最後のブルース・リー ドラゴンへの道(The Way of the Dragon)1975.1.25 公開(東映洋画部配給)
監督・脚本:ブルース・リー 出演:ブルース・リー/ノラ・ミャオ/チャック・ノリス/ロバート・ウォール他
ストーリー
ローマで中華料理店を経営する陳清華(ノラ・ミャオ)は、暴力団により嫌がらせを受けていた。
そこへ、香港から用心棒として雇われた唐龍(リー)が現れた。
最初は頼りない唐龍に不安を感じていた陳だったが、嫌がらせに来た暴力団を気合と共にかたずける唐龍をみた陳は唐龍を
みなおすのだった。
あくどい暴力団たちは、次に銃を持ち出し唐龍は、香港に帰れ!と命令した。しかしそんな状況にも関わらず、唐龍は暴力団一味
を、あっと言う間にかたずけてしまった。
見かねた暴力団のボスはアメリカから空手チャンピオン3名を呼び寄せ唐龍と対決させる、コロシアムでの死闘の末、唐龍は勝っ
た、暴力団一味も警察に捕まり、役目を終えた唐龍は陳に別れを告げ帰っていく。
マニアックなみどころ
 ★この映画でダブルヌンチャクを披露、ラストのコロシアムでの死闘はアクション映画史上に記録をを残した。
 (しかし、コロシアムのシーンは隠し撮り、対決シーンはほとんどセットです、言われてみれば、ほとんど同じシーンでスチール
 が、撮影されています。)
 ★この映画に截拳道の要素がかなりちりばめられており、ブルース・リー映画の中でもアクションシーンは最高の出来だと思います。
 ★「ドラゴンへの道」を撮影したカメラマンは西本正さんと言う日本人が撮影している。
 氏は死亡遊戯の未完成の部分も撮影していた。
 ★最後のブルース・リー「ドラゴンへの道」の日本タイトルでもわかるように、日本では、最後のリーの公開作品、当時のブルー
 ス・リーブーム最高潮の頃、この作品だけ配給会社が東映洋画になり他の作品よりポスターの雰囲気や宣伝の仕方が少し違
 っている。(東宝東和が配給していれば日本タイトルが、ドラゴン電光石火であったかも知れない。)
ブルース・リーのグリーン・ホーネット(The Green Hornet)1975.3.21公開(東宝東和配給)
20世紀フォックスTV66〜67年放映のTVシリーズより3本を再編集
監督:ノーマン・フォスター 音楽:ビリー・メイ 出演:ブルース・リー/バン・ウィリアムス/ロバート・スロース/マコ他
ストーリー
新聞社の若き社長ブリット・リードは夜、正義の仮面グリーン・ホーネットとなって助手のカトー(リー)とともに戦う。
グリーン・ホーネット、緑色の狂暴なすずめ蜂を示し、黒いマスクに黒い衣装をまとい、科学兵器とカトーの空手で今日も悪と戦う!
マニアックなみどころ
 同時上映、ブルース・リー拳法(20世紀フォックスのオーディションフィルム)
 燃えよドラゴン以外で吹き替えでないブルース・リーの肉声を聞く事の出来る貴重な作品。
 ★はじめてこの作品でヌンチャクを使う(ただ、1.2回振り回すだけだが、カトーの武器として登場)
 ★これ以外のエピソードを集めて「ブルース・リー電光石火」のタイトルで第2弾も公開された。
 ★1967年に日本でTVシリーズは放映されている。
 ★日本公開劇場版には、怪鳥音が加えられた。TV放映ではブルース・リーのクレジットが小さいのに劇場版ではバン・ウィリア
   ムスよりも大きくなっている。 
ブルース・リー 死亡遊戯(Game of Death)1978.4.15公開(東宝東和配給)
監督:ロバート・クローズ 出演:ブルース・リー/ディーン・ジャガー/ダニー・イノサント他
ストーリー
芸能界支配をたくらむ国際シンジケートのドクター・ランドは、映画スターのビリー・ロー(リー)とその恋人で歌手のアン・モリスと契
約を結ぶように強要した。
しかし、ビリー・ローはその誘いを断った為、命をねらわれ撮影中に狙撃される。
一命を取留めたビリー・ローはランドの組織を潰滅させるため、報道では死んだことにしてランドへ復讐を企てる。
だが、ランド達はビリーの生存に気付きアンを人質にビリーを呼び寄せた。
激しいオートバイ戦の後に、ボスのいるレッドペッパーレストランに向かう。
しかし、そのビルの各階には、格闘技の強敵が待ち構えていた。2階の棒術使いパスカル3階の武芸者4階の巨人ハキムと倒し
たビリーの元にスタイナーが現れた、苦戦しながらもスタイナーを倒し最上階のボスの部屋へ向かう。
ロウ人形を身代わりに逃げるランドを追いつめるビリー、しかし、ランドはあっけなくビルから転落する。
マニアックなみどころ
 ★オープニングはブルース・リー映画では「燃えよドラゴン」と並ぶ名曲「007」シリーズ等のジョン・バリーが音楽を担当している。
 ★ラストの戦いはさすが本物、とにかくかっこいい!
 ★ダン・イノサントとのヌンチャク対決は他では見る事の出来ない師弟対決だ!
 ★弱すぎるビリー・ロー、ほとんどの映画で無敵を誇るブルース・リー、しかし偽者リーはやられてばかりだ、こんな映画にされて
   ブルース・リーもさぞ、悔しかろう!
 ★ブルース・リーのそっくりさん?のタン・ロンは似ていない、特に搭でのスタイナー戦の時の顔はちょっといただけません。
   顔の輪郭が根本的に違うのです、何とかして欲しかったですね。
 ★偽者はトラックスーツの脇下のラインが入っていないぞ!色も微妙に違う、本気でこの映画作ったんでしょうか?
死亡の塔 (Tower of Death)1981.6.20公開(東映洋画配給)
監督:呉思遠 出演:ブルース・リー/タン・ロン/ウォン・チェンリ他
ストーリー
ビリー・ロー(リー)は、友人の死を不信に思い、日本に来たが、何者かに殺されてしまう。
兄の仇を討つために日本に来たビリーの弟、ボビー・ローは、死亡の塔と呼ばれる場所へと向かった。
マニアックなみどころ
 ★「燃えよドラゴン」のNGシーンを数分使っている、みどころとすれば英語版でカットされた一部のシーンを見る事が出来る。
  「燃えよ」での高僧との会話のシーンであるが最近ディレクターズカット版によりこのシーンが復活したが、「死亡の塔」の
  物とは別バージョン、ある意味では貴重な映像です。
 ★「死亡遊戯」の未使用シーンと、「燃えよドラゴン」のNGで制作される予定であったが、都合によりその企画は実行されず、
   ストーリーを変更して制作されたといういわく付作品。
 ★後半のボビー・ローの対決シーンを良く見ると「燃えよドラゴン」のセットによく似た場面が数箇所出てくる、私が推察するに、
  このあたりも「燃えよドラゴン」のNGもしくは本編カットを使いブルース・リーの映画に、でっちあげようとしていたようである。
 ★ビリー・ローが日本にやってくるが、ビリー・ローの父が「チンクウの娘は銀座で働いている。」 と説明するが、実際は新宿
  歌舞伎町、そのうえセットはどう見ても中国、かなり、むむむな映画です。間違っても新しくファンになる方はこの映画からは見
  ないで下さい。

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